コロナ禍で紆余曲折の中、近く東京オリンピックが開幕する見込みです。
そのオリンピックを先取りするかのように、最近は日本中が元気になるスポーツシーンが何度もありました。
まずはアメリカ大リーグエンゼルス大谷翔平選手。球宴史上初めて投打二刀流で出場して勝利投手となり、また新たな伝説を作りました。地元の有力メディアに「ベーブルースを越えたスーパースター、賞賛する言葉が見当たらない」とまで言わせ、こんな野球漫画の主人公のようなヒーローの出現を誰が予想したでしょう。
一方ゴルフ界でも今年は日本人選手が大活躍です。
4月には松山英樹が日本人初のメジャートーナメント制覇を果たしました。しかも舞台はジョージア州オーガスタの「ナショナル・ゴルフクラブ」(7,445ヤード、パー72)、1934年創設以来変わる事なく毎年このコースで開催され、誰もが憧れる夢舞台「マスターズ」での優勝です。
松山選手は2011年に初出場でローアマチュアを獲得して以来、10回目のマスターズ挑戦で悲願のグリーンジャケットを手に入れたのです。
アジア人のメジャー優勝は二人目、マスターズ優勝は初めての快挙であり、日本人がオーガスタでグリーンジャケットに袖を通す姿を見る事になるとは正直思ってもいませんでした。
しかも、この前週に行われた「オーガスタナショナル女子アマチュア選手権」では17歳の高校生梶谷翼選手がプレーオフを制し日本人として初めて優勝しています。
そして6月、女子ゴルフのメジャートーナメントの中で1946年創設と最も歴史が長く最高峰とされる「全米女子オープン」、そこで畑岡奈紗(22)と笹生優花(19)の若手日本人選手二人が優勝をかけてプレーオフに臨むと言う夢のようなシーンが生まれました。一体誰がこんなシーンを想像したでしょう。
日本人選手の全米女子オープン優勝は史上初めてであり、メジャー優勝も1977年(全米女子プロ)の樋口久子、2019年(全英オープン)の渋野日向子に続く三人目の快挙です。
76回を重ねる大会の舞台となったのはカルフォルニア州にある全米屈指の名門コース、「ザ・オリンピッククラブ」です。奇しくもオリンピックイヤーに相応しく、母体である「サンフランシスコ・オリンピッククラブ」は1860年に開設された全米最古の会員制アスレチッククラブであり、過去に多くのオリンピアンを輩出している名門クラブでもあります。
そのアスレチッククラブの一施設として1917年サンフランシスコ郊外にゴルフコースを開設し、全米オープンを1955年からこれまで5回開催しています。高い糸杉でセパレートされ、寒流が流れる海からは強く冷たい風が吹くこの難コースでの優勝スコアは、直近の2012年大会が1オーバーパー、その前の1998年大会はイーブンパーでした。過去にはベン・ホーガンやアーノルド・パーマーなどの名選手が優勝争いの最中にスコアを大きく崩して涙を飲むなどゴルフ史の残るシーンも多く、ここがいかに難コースであるか想像できると思います。
当初アスレチッククラブが女子禁制だった名残かどうかわかりませんが、これまでこのコースで「全米女子オープン」は開催されず今回初開催でした。優勝を争った二人の最終スコアが4アンダーなのは立派であり、二人は揃って2020東京オリンピックに出場予定です。
プレーオフで惜しくも優勝を逃した畑岡奈紗選手が2016年に史上初めてアマチュアで国内メジャー初優勝し、翌17年と直近の19年に三回の優勝を飾っているのが歴史ある国内最高峰のビックトーナメント「日本女子オープン」です。
この大会は今から遡ること半世紀以上前、男子プロトーナメントに先立つ1968年に始まり初代チャンピオンは樋口久子選手。女子プロ1期生の彼女はぶっちぎりの強さをみせ、以降この大会での優勝8回を含め歴代最多73勝、賞金王もなんと11回獲得しています。更に1977年には男女通じてアジア人選手として史上初めてのメジャー大会優勝を飾り、正に一強時代を作ったレジェンドで、2003年日本人初の世界ゴルフ殿堂入りを果たしました。
そのレジェンド樋口久子選手が日本女子オープン最後の優勝を飾ったのは1980年ですが、その翌年に同大会開催コースとなったのが総成カントリークラブです。1981年の14回大会では大迫たつ子選手が初優勝しますが、ディフェンディングチャンピオン樋口選手は9位に終わり、その後優勝する事はありませんでした。
一方、大迫選手はその後1984年にも優勝するなどツアー通算45勝、賞金女王3回の有力選手となります。また同大会2位となったのが大迫と同級生の岡本綾子選手で、その後日本オープン2勝を含む通算44勝を上げます。更にこの年から米国ツアーに日本人として初めて本格参戦して数々の名勝負を繰り広げて17勝を挙げ、1987年には外国人初の米国ツアー賞金女王に輝き、「世界のアヤコ」として日本の女子ゴルフの歴史を塗り替える活躍で岡本時代を築きました。
この1881年の日本女子オープンはそれまでの樋口久子時代が終わり、新時代到来の契機となった大会でした。その会場となったのが千葉北総の丘陵地に位置する「総成ゴルフクラブ」です。
1964年11月和泉一介と間野定吉の設計で「成田カントリークラブ」として18ホールで開場しました。その後何度か経営とコースの名称が変わり1977年に9ホール増設され27ホールとなった際に名称を「総成カントリー倶楽部」と変更、2012年にはレイクウッドグループ傘下で「レイクウッド総成カントリークラブ」に名称変更、そして2018年にPGMホールディングの傘下となって現在の「PGM総成ゴルフクラブ」となりました。
PGMグループが運営するゴルフ場の中でもハイグレードなコースに与えられる「Grand PGM」を冠したコースの一であり、その名に恥じない威厳と品位を兼ね備えています。
なだらかに起伏する雄大な自然の地形の中に池を巧みに配し、多くの樹木と桜やつつじの花に囲まれた27ホールの緑豊かな美しい丘陵コースです。各ホールは50年以上の歴史の中で枝ぶりが立派に育った松林でセパレートされ林間コースの趣もありますが、フェアウエーは広々として気持ち良くショットを打つことが出来ます。
コースの整備状況は素晴らしく、特にグリーンはベント2グリーンですがメンテナンスが良くて高速パッティングが楽しめます。また各ホールは個性的で戦略性も高く、飽きる事がありません。
クラブハウスは木を活かした温かみのある落ち着いた雰囲気で、レストランなどはシックな柄の絨毯とクラッシックな照明がマッチしています。天井の高いロビー、大きな革張りのソファが並ぶラウンジ、木目調の大型ロッカーや広々とした浴室などの各施設も高級感があります。
さて、コースですが西、東、南に分かれ、それぞれ9ホールの計27ホールです。
西コースは距離は比較的短めながら池越え、谷越えなどある自然を活かしたレイアウトで、グリーンも砲台が多く変化に富んでいます。中でも4番(497ヤード、パー5)は距離のないロングホールですが、大きく左にドックレックするフェアウエーの左右にOBがあり、グリーンの手前には大きな池が待ち受けるので正確なショットが要求される難ホールです。
東コースは3,476ヤードと最も長く、ドライバーの飛距離が要求されますが、ドックレックホールやグリーン周辺の立ち木も多く正確なショットも必要です。8番ホール(377ヤード、パー4)はティーグラウンドからグリーンまで左側にバンカーが続くユニークな景観のホールで、グリーン手前の左には池もありショットは常に右サイドキープがマストです。
南コースはショートホールから始まり、池越えや起伏も大きく、深いバンカーやラフなどが難易度を高めています。中でも2番ホール540ヤードのロングホールは浮島のようなグリーンが名物の美しく個性的なシグニチャーホールと言えるでしょう。
スリルを味わいながらホールアウトした後に、3番ホールに向かう途中や7番ホールのティーからも美しい浮島を狙う後続組のプレーを眼下に眺めらえるのも楽しいレイアウトです。
また8番ホール(155ヤード、パー3)は池越えの美しいショートホールですが、グリーンまでフラットなスペースがないので、実際の距離より遠く見えます。成田空港A滑走路への北からのアプローチの下に位置するので、南風の日はゆっくりと降下してくる飛行機を眺められます。その為かホールインワンにはペア航空券がプレゼントされるそうです。
東関東自動車道成田ICから5Kmと成田空港は勿論、都内からも交通の便が良く、PGMグループのハイグレードコースとして厳選された Grand PGMの中でも人気のコースでプレーを満喫して下さい。
PGM総成ゴルフ俱楽部
住所 | 千葉県成田市西和泉729 |
電話番号 | 0476-36-1556 |
ウェブサイト | https://www.pacificgolf.co.jp/sohsei/ |